マタニティ・ブルース★★★★〜「母性は本能」という幻想・思想・社会問題〜

よしながふみの『愛すべき娘たち』にこんな台詞がある。

「親だって人間だもの 機嫌の悪い時くらいあるわよ!
あんたの周囲が全てあんたに対してフェアでいてくれると思ったら大間違いです!!」

 中学生の時に衝撃を受けたこの言葉。しかし、今になると当然である。母も父も、ついでに教師も"それぞれの肩書きである前に"一人の人間なのだから。なのに何故、幼き頃この台詞がショッキングだったのか?それはきっと当時の自分に、少なからず「母は子に無限の愛情を捧げる」という価値観・「母性信仰」があったからだ。
 芸能人のゴシップを見ていると、子持ち既婚者による不倫、それに連なる育児放棄を連想させるスキャンダルは、何故か男性よりも女性タレントが叩かれがちである。どの国、どの人にも「母性信仰」が浸透しているからであろう。

 「母性本能」=無限の愛を抱く女神としての母親像。それを映画『マタニティ・ブルース』は否定する。人間に母性という「本能」は根づいておらず、世間が持つそのようなイメージは「信仰」に過ぎない。そう言ったことを精神科医が口にするのだけど、成る程確かに、じゃぁ男性に「父性本能」はあるのか、と考えると、ありえないんじゃないのって感じだ。「親は子どもへ無償の愛を無限に捧ぐべきである」という一種の強制圧力は、何故か女性にしか下されない。いくら身心を痛めて産んだと言えど、そんなパーフェクトな愛情が全員に根づくかと聞かれると微妙。第一、子を捨てる母親なんて山ほど居るじゃないか。
 ネットで調べてみると、母性は本能としては備わっておらず、経験等で後天的に身につく感情だと言う。女性全員が「子への無限の愛」を生まれ持っているわけではないのだ(と言うか、そもそもパーフェクトな愛情って逆に存在するのか、と疑問)。なのに、世間は母親に「子への無限の愛情」を強いる信仰を持つ。そんな非論理的な「信仰」に苦しめられている人間は多数存在するのだろう。

 『マタニティ・ブルース』は「子殺し」をした女性たちの物語だ。我が子を死なせた女性たちが収容される精神機関が舞台となっており、もうそこから重厚かつ衝撃的。いざ見てみると、映画は「子を殺した母の悲哀」はむしろ隠されるかたちで穏やかに進行する。劇中の彼女たちは一般的常識に則って慎ましやかに行動する「深い傷を持った」普通の女性たちだ。
 我が子をその手で死なせてしまったこと。と言うか、一人の命を無きものにしてしまったこと。その罪、痛みはきっと無くなるものではないけれど、世間が彼女たちに強いた「母性本能」もまた悲劇の一因であったのではないか…と想像してしまう。「母親全員がパーフェクトな愛情を持っているべきだ」という非・論理的な思想は、老若男女すべて捨てた方が「ポジティブな教育」が促進できるのではないだろうか…。「母性本能」を持っていいのは、幼き子どもたちだけではないだろうか…。誰が悪く、誰が良いかを全く提示せず、罪悪感に苛まれる女性たちをただただ静かに映す映画だ。鑑賞後の余韻は、この長ったらしい文章が証明するように観客に社会的問題・疑問を考えさせる。【母性本能は幻想である】。国境を超えた社会問題提議を孕む秀作。

WOWOWにて鑑賞)