蛇イチゴ★★★☆〜放蕩息子の帰還〜
新約聖書にこのような話がある。
放蕩息子のたとえ話 - Wikipedia
ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は下の息子の要求通りに与えた。そして、下の息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に生きて散財した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。
我に帰った時に、帰るべきところは父のところだと思い立ち、帰途に着く。父は帰ってきた息子を走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。
父親は、息子のために祝宴を開く。しかし、兄はそれを妬んで父親に不満をぶつけ、弟を軽蔑する。兄は父親にたしなめられる。
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兄の言い分はこうだ。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」。この物語はキリスト教においてもメジャーで、教会のディスカッションに用いられることが多い。普通なら兄貴が可哀想だと感じるこの話から、神は何を伝えたいのか?それを読み解くのだ。まぁ俗世の人間だから兄貴に同情しちゃうよね、って第一印象になるんだけど、「記述が無いだけでこの家族は元々崩壊していたのでは?放蕩息子が戻ってきた衝撃で問題が吹き出たってだけなのでは?」って分岐になるのがこの映画『蛇イチゴ』である。
『放蕩息子のたとえ』における弟は『蛇いちご』において「勘当され犯罪行為を繰り返している兄」だ。放蕩息子の兄は、こちらでは「教師の妹」にあたる。兄は学生の頃から妹の下着を売っていたような人間で、今は香典泥棒。恥知らずな男だ。そんな男の皺寄せを喰らう妹には同情してしまうが、彼女は過度な潔癖主義で、職場(学校)で「嘘を吐いて楽しようとしている生徒」を見ると「それが本当に嘘か」検証せず断罪する。小学校教諭としては大きな問題が生じている。
本作は祖父の死をきっかけに、家族が取り繕ってた「表面」が破壊され、歪みが全面に噴出する構成だ。祖父の葬儀に勘当した兄がやってきた。それまでは平和に"見えた"家庭が、たちまち崩壊してゆく。結婚を控えている真面目な妹は、修羅場の起点となった兄を追い出そうとする。ちなみに、兄が再び家に戻れた理由は、父親が秘密裏に借りた金の始末を得意の詐欺トークで一時解決してくれたから。一家の大黒柱である父はリストラをされたことを隠しており、借金を積み重ねていた。祖父が亡くなった理由は「認知症ゆえの喉づまり」であるが、介護をしていた母親はそのことに気づきながらも見殺しにした。導入の時点で全然"素敵なご家庭"じゃないのである。妹の主張通り兄貴を追放しても、問題は解決しないだろう。元々ひび割れていたものが完全に壊れてしまったのだから。
思うに、(兄を除いた)この家族みんな、認知症の祖父を「ワルモノ」扱いして、どこか安心しながら見下してたんだろう。「認知症の祖父の視点で映される仲良し家族」が「歪んだ画面エフェクト」ってシーンのスパイスが面白い。
【ネタバレ感想】
この家族は嘘ばっかりだ。父親はリストラと借金を隠しながら「傲慢な大黒柱」然を振りかざし続ける。母親は男衆に対し意見を言わず、ただ男達の会話を聞いて笑いながら頷く「古典的専業主婦」。腹の底では沢山のヘドロを溜めているのに。兄は嘘を商売道具にしている。妹の嘘は、まず婚約者に兄の存在を隠していたことだ。おまけに「お父さんは厳格で素敵」「母親は楽しく介護をやっている」みたいな物言いも、嘘を吐いてるわけではないが、あまりに鈍感。これらの言葉は(妹ほど鈍くない)婚約者側にとっては「嘘」となる。小学校でのシーンを見るに、彼女は何よりも嘘が嫌いなのだろうけど、最後の最後で兄に「嘘」を吐く。だからこそこの妹は被害者として同情しきれないのだ。大きな嘘のあとに帰った家で、妹の前に現れる「真実」の姿は、この映画で唯一美しい。
(WOWOWにて鑑賞)