王様とボク★★★★〜大人になりたくない、子供でもいられない〜


  ーー大人になるって、どういうこと?
12年眠っていた親友が「体は大人!頭脳は子供!」だったので世話をしようとするはなし


主演は松坂ピーチ。
その彼女に二階堂ふみ
このふみちゃん、「朝は終わりの始まり。」とか川上未映子みたいなこと言っちゃうタイプ。
あえて空気読まずワガママだし。
でも、それが自然・・・。それがかわいい・・・。
森ガール系少女漫画ヒロインの完全体だった。
二階堂ふみはポスト宮崎あおいだと思ってましたが、「ポスト」なんてものではない「代わりのいない立派な女優」でした。あおいよりちょっとトリッキーで、脆さがある。


12年間眠っていた親友が目を覚ましたところから映画が始まる。
その親友の心は、6歳のままだった。いわば「カラダは大人!頭脳はこども!」な逆コナン現象である。
主人公は、罪悪感あってか同情心なのか、親友の面倒を見る為、大学までやめてしまう…。
ちなみに、この親友、事故った経緯は「女の子とキスしてえ!!!!」と叫びながらブランコからぶっ飛び昏睡状態…というもの。
事故り方からして大物を感じさせる。

一方、心も身体も18歳になった松坂ピーチは「大人になんてなりたくねえ」と叫ぶ。
セリフからわかるように、青春映画だ。
作風は…なんかソフトタッチ。
キャラの掘り下げなんかを全くしてません。
「撫でて終わりのスローセックス」みたいな映画でした。

それなのになんで4点かと言うと。
【ネタバレ感想】
1.「こんなもの」だと思うから。よくわからないままオトナになっていって、「オトナってそう凄いものじゃなかった」と呟く。役者三人(菅谷・松坂・二階堂)の演技が生命力溢れていることに反し、映画自体はサラリと終わってしまう。いつも本気で生きていたのにするりと過ぎてしまった高校時代のようで、「手触りの無さ」がとてもリアルだった。青春映画って「確固たる爽やかさ」があるものが多いけど、実際の高校〜大学時代はこんなものだと思う。
2.あの終わり方だったから。ラストシーンは『ノルウェイの森』を意識してると思う。あの時の主人公は、きっと言葉の通り「自分がどこにいるかわからない」のでしょう。大人になりたくないし、大人でもないけれど、彼は最早、子供でもないのだ。学生という(扶養家族的な)身分も捨ててしまった。彼にとっての自分は「なんなのか」わからない存在なのだ。ノルウェイの森』が「なんの不足も無いはずなのに消えゆくように死んでいってしまう人々と何故か生き続けている自分」という「わからなさ」の話ならば、本作『王様とボク』は「大人にも子供にもなれない自分」という「わからなさ」の話でしょう。
3.相葉祐樹が泣いたから。一番悲しいのは彼だ。松坂のようにバカにもなれない。3人の中で一番葛藤しているのに。そのことに、女たち(母親と二階堂ふみ)は気づいているんですよ。相葉は、自分が一番悩んでいることを見て見ぬ振りをし続けていて、そのことは周りにも悟られてるのに、結局行動にでられない。モリオに会いに行けない。だから彼はトイレで泣くしかなかった。ラストシーンがたった一人であった彼が、一番悲しい。青春の負の部分でもある「何かしないといられない焦燥感(松坂パート)」「何も出来ない弱さの悲しさ(相葉パート)」をちゃんと描いているこの映画は、立派な青春映画だと思う。
(新宿シネマートにて鑑賞)