インターミッション★★★〜映画が生かす人生、映画が殺す人生〜


不器用な映画である。
愛とは不器用である。


歴史ある映画館・銀座シネパトスの閉館にあたって作られた映画だけど・・・。
えぇと、舞台でやった方が面白いんじゃないかな・・・?
映画、よりも・・・・。

不謹慎すぎることを思っていた前半・・・。

そしたら後半から最高にファンキー!!
「今しか」「そこでしか」「映画でしか」不可能な表現の嵐がなんとも美しい。


 こういう不器用な「映画愛映画」こそ素晴らしいと思うのだ。名画座閉館にあてた映画なのに「素晴らしい映画館だった」なんて観客を誘導させる台詞が一切無い。それどころか「映画に人生を殺された人物」ととれるキャラクタまで登場する。作中にあがる映画作品すら褒め称えない。だからこそ、この映画を見た人は、映画、そしてシネパトスに愛を抱く。『インターミッション』が過去の映画や自身を讃えようとしないのは、未来を見てるからだ。過去という背後に振り向いて、懐かしみ慈しむような「追悼」はしない。愛する映画たちを抱えて、いつだって前を向いてる。これは追悼じゃなくて、愛、それだけの映画だ。
 映画として物凄く優れてるってわけじゃない。数十年後、シネパトスの存在すら知らない人が見て「凄い映画館があったんだな」と思うかどうかも微妙だ。でも、映画を愛する不器用な人たちが、この中に確かに「生きている」。こういう、不器用ながらメッセージをこめる為に皆が魂をかけていて、尚且つ映画としての面白さに帰着させようとする作品はどうしても嫌いになれないのだ。「男より女」に光が当たる、「男より女が強し」然とする空気が一貫している点も「映画界で男よりもないがしろにされてきた女たち」への不恰好な愛を感じる。きっと映画は、時に人を生かし時に人を殺すものなのだ。だけど殺された人も、きっと映画を愛していた。これから世界や映画や自分どうなるか、誰もがわかったことじゃないけど、ただ今ある愛だけは希望にして、ガムシャラに前へ走ろう。

 ぐだぐだ、なんと言おうと、『インターミッション』の感想はこの一言だけでいい。

(銀座シネパトスにて鑑賞)