クィーン★★★★★〜偶像視の変革〜


ヴァーチャル嫁姑戦争を期待してたら、そういう視点は不謹慎なほどマジな作品だった。
かのダイアナ妃が事故死した際のエリザベス女王の話です。


セレブってレベルじゃないエリザベス女王の生活はヴァーチャル体験できたな。
上の画像は女王の別荘なんだけど…。鹿が凄すぎてお化け屋敷みたい
あ、ブレア首相の家は超庶民的だったので安心してください!
その代わり、ブレア首相がデキ男に描かれていた…。
女王いるから首相はヘボい」がイギリス映画の定番ジョークでは!?!?(ソースはミスター・ビーン


ダイアナの死によって心情や伝統、価値観が揺らぐ英国王室をリアルに描いたこの作品。
王室と首相陣が、仕事時ではにこやかに微笑みあってるのに、家族とお互いの悪口言い合ってるところがリアルだった〜。「帰り道でツレと仕事相手の愚痴」は誰でもやるんですね!
あと女王って結構アクティブなのね。
車で川の上を走ってたんだけど…。
車って水の上通れるの?
ボンドカーの国だけあるよね。

【ネタバレ感想】
 誰もが誰かを偶像視する。そして誰もが誰かに偶像視される。そして、世の中には「非情に偶像視されやすい立場」の人間が存在する。それは芸能人であり、政治家であり、英国の女王である。本作でエリザベス女王は国民から過度の偶像視を浴びる。人々とマスメディアは筋は通っている王室側の主張に耳を貸さず、激しいバッシングを彼女にぶつける。
 また、人間には「自らの偶像視」を自認し、価値観を改める瞬間がある。例えば、作中のブレア首相は批判し続けていたエリザベス女王その人にいつしか入れ込んでしまう。『クィーン』ではそのような「偶像視」「価値観の変化」が多く見られる。それはクィーン・エリザベス女王も例外ではない。
〜女王の偶像視の変換〜
1.「鹿は狩られるもの」→「美しい鹿もいる」
2.「ブレア首相は頼りにならない小僧」→「散歩をともにするには値する男」
3.「国民はダイアナを愛し王室を憎んでいる」→「女王を愛する国民もいる」

 さて、ダイアナに対する認識は、女王の中で変化したのだろうか?序盤で「ダイアナ関連の報が入っている」と聞いた女王はかすかに嫌悪感を示していた。きっと嫌いであったのだと思う。一匹の鹿の死を悼んだ女王が呟いた言葉。「苦しまなかったのならいいけど・・・」 それは、ダイアナへも向けられた言葉だったのだろうか。

WOWOWにて鑑賞)