クラウド・アトラス★★★☆〜三島由紀夫×『火の鳥』〜


アメリカで大コケした失敗作として名を馳せてますが、失敗作でなく実験的娯楽作
三島由紀夫豊饒の海手塚治虫火の鳥』ファンは必見!


時代が異なる6つの物語が同時進行する構成。
役者さんが一人何役も演じていた。・・・予算削減かな?
と言うのは冗談で、役者が様々な時代で違う役を演じているのは輪廻転生の表現。この輪廻転生と、各章の主人公に同じアザがあるところは三島由紀夫の『豊穣の海』そのまま。ま、今だと『ジョジョ』のディオ様だけどね! 実際原作者はインスパイアを受けたらしい→[参照(ネタバレ注意); 佐藤秀の徒然幻視録:クラウド アトラス〜三島由紀夫オマージュ ]
鑑賞すると『火の鳥』を思い出します。『火の鳥』実写化としても楽しめた。


1849年〜2321年までの500年間が描かれるんですけど、
「ネオ・ソウル編」の舞台は2144年の韓国。
上がその画像なんですけど・・・。
ウォシャウスキー監督、韓国と日本履き違えてない?
繁殖街も日本オマージュの『ブレードランナー』そのままだったし・・・。
日本オタクだし、無理やりねじこんだんだろうか。
あ、あとウォシャ監督は女優を色っぽく撮らない作家リストにも追加ね!


【※ネタバレ感想】
 ウォシャウスキー監督によると「魂には性別もなければ国籍もないし人種も無い」。それが輪廻転生を繰り返す6つのストーリーで見事に描かれている。共通するのは性別、国籍、身分を超える輪廻転生だけではない。
 全章において「弱者と強者」が存在する。主人公たちは身分の違う相手と垣根を超える交流をする。又、時に「弱者と強者が逆転する瞬間」を体験する。
 1.「アダム・ユーイングの太平洋航海記」:弁護士は社会的地位が著しく低い黒人の命を握る【強者】である。医者に命を握られる弱者】となる。殺されそうになった彼は、彼が救った黒人に命を救われる(ここが「弱者と強者の逆転」)。最後には黒人と対等な友情を結ぶ。主人公は元々義父に従属を強いられる家庭内【弱者】であったようだが、黒人と垣根をこえる体験をしたことによって義父に自分の意見を通した。妻の同意を見せつけた際、義父に対し主導権を握る勝者となっていた瞬間も「弱者と強者の逆転」ではないか。
 2.「セデルゲムからの手紙」:主人公は同性を愛することで社会に差別される【弱者】である。その彼が、大御所作曲家に音楽家生命を握られる部下=【弱者】となる。二重の【弱者】だった彼は悲しい結末を迎えたが、大御所作曲家に拳銃を向け発砲したその瞬間だけは【強者】となった(「弱者と強者の逆転」)。
 3.「半減記 ルイサ・レイ最初の事件」:ジャーナリストは「ウーマンリブ運動」の時代に生きたアフリカ系の女性。アフリカ系は勿論、働く女性も差別を受けていたことが台詞、演技からわかる。石油会社の悪事を掴んだ彼女は殺し屋に狙われることになる。つまりは三重の【弱者】。父の友人である敵側の男性と身分を超えた関係を結び、報道で権力側を追い詰めた(「弱者と強者の逆転」)。
 4.「ティモシー・キャヴェンデッシュのおぞましい試練」:編集者は問題ある老人ホームに入れられ、職員に人権を侵害される【弱者】となる。また、彼の運命の相手も、両親の具合を見るに貞操/結婚相手に厳しい特権階級なのではないか。恐らく、編集者とスーザンサランドンの間には階級差がある(編集者側が【弱者】)。編集者はホームで仲間を作り、弱者同士結託して施設から脱出する。痴呆が始まっているオウム老人は主人公より弱者に見え、あまり役に立たない人物だったが、彼に対し【勝者】である主人公たちは彼を見捨てない。その結果、酒場で彼に救われ、介護士に打ち勝ち、自由を獲得した。乱闘シーンは「弱者と強者の逆転」そのもの。イングランドスコットランドのサッカーの試合も印象的。
 5.「ソンミ451のオリゾン」:ネオソウルのソンミは人間扱いをされない労働用クローンであり、お客に反抗したら殺される圧倒的【弱者】である。革命軍の男(「人間扱いされている人間」)と垣根を超えた恋をし、演説で真実を伝え処刑された。そして遠い未来で神となる(真っ当な人間扱いをされたことは愛する彼との時間だけだったと考えると皮肉)。
 6.「ノルーシャの渡しとその後のすべて」:トムハンクスは島で他の部族に戦力格差をつけられている【弱者】であり、文明を保持しているハルベリーに対しても文化的【弱者】。ハルベリーと垣根を超えた交流をし、寝ている部族を殺した時のみ(部族に対し)【勝者】になっていた。寝首をかいたわけだから「ズル」ではある。ピンチを迎えるもハルベリーと絆を結んだおかげでなんとか助かる。

 トムハンクス演じるキャラクタが転生するたび善人となり、最後の最後に救われるラストは感銘を受ける。我々が今住む地球は、恐らく滅んでいるので、悲しくもあるが…それも余韻となって残る。

(TOHOシネマズ 六本木ヒルズにて鑑賞)