もらとりあむタマ子★★★★〜彼女が無職なワケ〜


 映画『ロスト・イン・トランスレーション』は「尻」から始まる。背中とパンツだけで「孤独」を表した名・タイトルバックだ。本作もまた、主人公の初登場シーンは「尻」。都内高級ホテルの整ったベッドに居たスカーレット・ヨハンソンと異なり、前田敦子が寝そべるのは散らかった部屋の布団。おまけに寝相はグシャグシャ。両者、似ても似つかないわけだが、『ロスト〜』と同じく『もらとりあむタマ子』のヒロインもまた、孤独である。

 主演の前田敦子は演技らしい演技を全くしない。芝居における間が独特だ。例えば//娘を執拗に呼ぶ父親→娘「今トイレ!!!」と叫ぶギャグシーン//とか、巧い女優ならもっとキメてくれるだろう。尾野真千子とか、ちょっと溜めてからカチっと成立させてくれるはず。前田はそういう"場の整え"を全く披露しない。それ故にシーンシーンが「ここは笑える/泣ける/シンミリするところ」みたく締まってない。主演と作風相まって全然「劇っぽくない」ない映画になっている。だからこそリアルっぽいし、ゆるいし、見た人によって解釈が違ってくる。
 「傍若無人ヒロインの癒し系ゆったりムービー」みたいに喧伝されているけど、本当にそれ“だけ”だろうか?主人公・タマ子は、本当に寄生することになんの罪悪感も無い、自己本位な女だろうか?自分はどうしてもそう思えなかった。ファム・ファタルと一重に言っても、あの時の加賀まりこだって、いつかのマストロヤンニだって、孤独を抱えていたじゃないか*1。第一、こんな文章を書けてしまう人間が、孤独じゃないわけないんだ。

 今の自分は、私ではありません。生きている以上、誰もが何かを演じている。私は誰かになっているときが、一番自然に思うのです。そんな私に新しい名前をつけてください。−酒井タマ子(大和田マラソン 中学生の部 第2位)

 以下"超私的"考察。ほぼ妄想状態…。。

1.ヒロインの孤独と無職理由
【ネタバレ感想】

 タマ子は非常に掴みづらい主人公で、一体どれが本音なのだかよくわからない。その中で明らかに本音だと思ったのはこの2つ。「一番悪いのは私に出てけって言えないことですよ」「またね」*2

 「一番ダメなのは私に出てけって言えないこと」からの「…合格」。タマ子って、父に突き放してほしかったのだと思う。何故か?それは後半で明かされる。母への電話で「どうするの、このままじゃお父さんあの女の人と付き合っちゃうよ」と訴えかけるタマ子。ん〜〜ちょっとおかしくない?母親は既に離婚を成立させて別居し仕事をしており、恋人も居るんだから、父が誰といい感じになろうと勝手。その証拠に母も「どうしようもないことってあるのよ」と返答している。「お姉ちゃんはもう子どもまで居るのにあんたったら」って感じの説教も飛ばしている。ここからわかること。【父と母がまだ夫婦だと捉えてるのはタマ子だけなのだ。】思えばタマ子は、その前にも、嫌がる父に対し、母の旅行バナシをふっかけていた。

 父と母が離婚した。母も姉も吹っ切れてそれぞれ独立した生活を営み、新たな家族(パートナー)を授かっている。でも自分だけは家族でもう一度団欒をしたいと願っている。…これがタマ子の状況なんじゃないか?とても有り触れた孤独だ。でも孤独なのだ。母は、離婚後の家族状況を「どうしようもないこと」と言う。確かにどうしようもない。「世の中にはどうしようもないことだってある」。きっとタマ子もそれはわかっているだろう。でも“論理的理解”と“実感”は異なるものだ。世の中に萬栄する、どうしようもないことをどうしようもない、と割り切れない、タマ子の繊細さ。「お父さんとお母さんが別れてショックだった」とストレートに叫べない、タマ子の優しさ。両親によって傷つけられたことを隠したいが故に傍若無人「キャラ」を演じてしまう、タマ子の不器用さ。この3コンボで就職活動する気力が沸かないからニートなんじゃないの?就職って言わば社会的独立、親離れであって「家族とは違う生活を持つ」ことだし。

2.勘当宣言の希望と成長
 家族(両親&姉)の中で最も「昔通りの生活」をしている父の所に寄生したタマ子であったが、その父もまた変わろうとしていることを知る*3。こうなっちゃうと【昔のままの家族に固執しているのはタマ子のみ】。だから、彼女は父に突き放してほしかった。「出て行け」と言ってほしかった。「家族と言えど他人同士なんだから変わってゆく、家庭に依存せずお前も独立しろ」と"親離れ"ならぬ"家族離れ"を促してほしかった。終盤でタマ子は「ショックな出来事4連チャン*4」を喰らうが、その最後、父による勘当宣言は、彼女にとって希望だったのだ。「昔通り」に見える父親が「そうでなくなった」ら、いよいよ彼女の「昔の家族に戻って団欒するという夢」は打ち砕かれる。到底実現不可能な夢なんだから、壊された方がタマ子にとっても幸せなのだ。そこらへんは頭がいいからきちんと理解してるタマ子。
 …なので、勘当宣言をされてから、彼女はちょっとだけ成長する。映画冒頭では父が洗濯していたが、ラストでは娘がそれをしている。「全く成長しないワガママ娘」なんかじゃ全然無い。きちんとした成長譚である。

3.リアリズムと優しさ

 映画『もらとりあむタマ子』は決して主人公を否定しない。社会的に見れば「家族の変化を受け入れられてない面倒な社会不適合者」であるヒロインを、絶対に馬鹿にしないのだ。無職状態も「モラトリアム=準備期間」と題してあげている。優しい映画だ。しかしながら、現実も忘れてはならない。此の世において「時間」と「死」だけは絶対だ。社会的職務を果たせない事情があるにしても、季節はいつもどおり過ぎてゆく。履歴書における無職期間は公平に延びていって、つまるところ就職がどんどん不利になる。タマ子が成長しようとしなかろうと、ガラケーはスマフォになるし、中学生の恋愛は消滅するのだ。淡々と季節が過ぎ去ってゆく時間感覚はリアリスト。ある面では冷酷な現実主義をとりながらも優しさを持つ良い映画。嗚呼タマ子、君は君のままでいいんだ。愛してるぜ!

新宿武蔵野館にて鑑賞)

*1:マルチェロ・マストロヤンニは男だけどね!!

*2:主人公の挙動が嘘/見栄っ張り/キャラ作りでうめつくされていて、一杯一杯になった時だけ本音を漏らす…って構図は『バッファロー66』を思い出す

*3:富田靖子とカフェで笑い合ってるのに、娘には「今ごろ他人と暮らしたくない」と言っちゃう優しさがあるから、タマ子は父と同居するんだろう。母親の方は「どうしようもないことだってある」と真実を言っちゃう性格。

*4:1.父の恋人がけなしどころのない女性だった&何故か自分が本当の悩みを吐露してしまい恥を晒した 2.母親に父の色恋フラグを報告しても興味を示してもらえず「どうしようもないこともある」と言われてしまった 3.デリカシーの無いと思っていた友人が泣いていた、皆いろいろあるし変わっていくよね…そして職がある人は「新たな故郷」へ帰ってゆくよね… 4.父に「出て行け」と言われる