劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語。一つだけの明瞭な勝利と歪みの発端。


 アニメ界のねじれ国会やー!とばかりに歪みまくった劇場版。歪みに歪んだ脆い構造によって世界の命運が決まるもんだから、拒否反応を示す人も多い。

【ネタバレ感想】

 歪みまくりの本作における、ただ一つの明瞭な勝敗。それは「人類によるインキュベーターへの勝利」である。勝因は「愛」…って書くといい話風だけど、ほむらの示す愛が全然素晴らしく見えないからやっぱり歪み構造。TVシリーズラストにおいて示されたまどかの愛にしても、過剰な性善説で奇妙さが残ったが…。

 そんでもって、TV版よりbadENDに見える今回の結果も、世界的には良さげupdated…って歪みがありますね。円環はまだ残っていて、まどかは人間になれて、魔法少女が魔女にならない環境なので…全体的にはbetterEND。友達を自分勝手に書き換えてる時点で倫理的には引っかかる(から後味が悪い)。

 TV版に引き続き極論的な「愛」の物語です。思春期って極論に走りがちだからね。そもそも、ほむらの業の発端である「まどかへの好意」も極論的に見える。転校して優しくしてくれて、人生の喜びを教えてくれたことがキッカケだよね?その短期経験をもとに「まどかを救うまで転生し続ける」選択を(とても反射的に)行った。自分がなんでそこまで鹿目まどかを気にかけているのか/まどかのどういうところが好きなのか、熟考もしてなさそうだ。彼女が愛と呼んでいる感情は、相手の欠点を認めながらも受け入れる愛情とは程遠いんじゃなかろうか。「理想の押し付け/執着/依存/現実逃避」でしかないものを「愛情」と誤解している暁美ほむら。ここらへんの誤解が歪みの起源な気がする。案外まどかとほむらが付き合ったら、理想を抱えすぎてるほむらが先に冷めたりして。
 最早、まどかがバッサリとほむらを否定してあげた方が救われる気がする。TVシリーズにおいて、自らの性善説を押し付けるまどかにさやがか怒るシーンがあったけど、ああいう衝突が必要だと思う。「短所も理解した上で好き」って発想がほむらには無さそう。このままじゃ『バタフライ・エフェクト』よろしく、理想の恋人に出会えるまで自ら世界を書き換え続けることになるんじゃ…。それでは結末も『バタフライ・エフェクト』に…。
 …しかし 「人格形成途中の少女と異星人に命運が託されてる世界」ってやだなー笑。

(TOHOシネマズ渋谷にて鑑賞)