そして父になる。アダルト・チルドレン脱出の成功譚。


 「父の呪縛に囚われていた主人公がアダルト・チルドレンを脱却し孤独じゃなくなる話」である。又、それに伴う「家族の再生」。同じくカンヌで賞を授かった『ツリーオブライフ』『トウキョウソナタ』に似ている。文学的に言うと「父殺し」の物語なのでドリームワークスがリメイク権を得たのも納得だ。子供取り違えは単なるキッカケ。リリー・フランキー真木よう子も、主人公・福山雅治に気づきを与える装置として存在している。


1.孤独な主人公
 両親同士が争う話と思いきや、戦況は3対1。リリー&真木&小野:福山なのである。「育てた子ども派」と「血筋主義」の対決。福山雅治の役柄は、早慶附属校出身の三菱地所務めエリート*1成果主義を徹底しており、息子にも妻にもモラルハラスメントを繰り返している(ex.地方出身の妻を前に「あいつは所詮田舎者だったんだ」発言/ピアノ発表会で息子の努力を否定等)。仕事を言い訳にして家庭を放置しているが、実際は自発的に上司を飲みに誘っている始末。家に帰ろうとしていない。まるで妻子と向き合うのを恐れているみたいな仕事人間。専業主婦である妻は彼のモラハラに耐え続けていたが、取り違え問題を機に外部家庭と交流を持ち始め、だんだん夫に反抗的になってゆく(洗脳が溶けハラスメントから息子を守らなければいけないと決心した母親の図)。正直、主人公の味方は育ての子・慶多しか居ない。それなのに、主人公は「慶多を育ててゆく」とは言わない。「育てた子も血がつながった子もこちらが育てる」計画を独りで練っている。弁護士に不可能って言われているのに。

2.主人公はアダルト・チルドレン
 周囲から孤立してまでも血統主義を貫く主人公。何故か?なにも人格が悪いというわけではない。彼は典型的なアダルト・チルドレン(以下AC)なのだ。

アダルトチルドレン - Wikipedia
 「親からの虐待」「アルコール依存症の親がいる家庭」「家庭問題を持つ家族の下」で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷(トラウマ)として残っている人をいう[3]。破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手であるといった、いくつかの特徴がある。成人後も無意識裏に実生活や人間関係の構築に、深刻な悪影響を及ぼしている。

 主人公が父の呪縛に捕らわれていることは、台詞によって示されている。弁護士「お前は昔からファザコン」/兄弟「いい加減あの人を母親と認めろよ」*2/相手側の夫「そんなにお父さんの真似をしなくていいんじゃないか」。
 主人公をACに陥れた実父(夏八木勲)の台詞はこうだ。「子どもは血筋だ」「下手なピアノなど意味が無い」。どこかで聞いた言葉…。コピー&ペーストしたような一致具合。。ましゃはるの台詞と一緒やんけ!つまり主人公のモラルハラスメントは「父の真似事」なのだ。正しくは「父の機嫌をとる為の行動」。もう経済的社会的に独立していると言うのに【主人公は父親の示す理想の息子で在ろうとし続けている】。父に肯定されないと「生きてて良い実感」が得られないから。

 本来、親は子どもに無条件で愛情を注ぐものだが、親の愛情が無条件の愛ではなく、何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。これが継続的に行使される家庭では、子どもは親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようになり、この時点で親子関係は不健全であるといえる。この手段は子どもが成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子ども(Adult Children)の精神を支配する。

真木よう子が「血筋主義なんて子供との時間を信頼しきれない男のもの」と言い放つシーン。この言葉、主人公にとっては「お前は父に愛されていなかった」と突きつけられたようなものだ。このあとの彼の暴走って"真木の正論"からの逃避じゃないか?【自分は父に愛されていた子だったから生きてても良い】という希望を壊さない為に、他者と向き合うことから逃げ続ける男なのだ。


3.彼が「父になる為に」すべきこと
 そもそも主人公の父(夏八木勲)の論など、非現実的にも程がある。再婚して血の繋がりの無い後妻(風吹ジュン)に息子を育てさせたのに「血筋が絶対だ」と唱える。子供に過剰な成果主義を強いながら、自分は没落している*3
 主人公が父の行動をコピーし続けることは、彼の人生にとってマイナスが大きすぎる。父親の思想を踏襲することで、妻子に精神的暴力を加え続けているのだから。思いっきり「DV被害者がDV加害者になる連鎖」。なによりも、主人公は父から受けたハラスメントの後遺症で、自分に自信を持つことが出来ていない。だから伴侶にすら弱ってる姿を見せられない。ただ一人の味方だった慶多が、相手側の夫に懐いてしまったシーン。あの時の、泣きそうなのに泣けない彼の表情は孤独そのものだ。彼が、妻と子、そして自分自身の為にすべきことはなんなのか?それは「父の呪縛からの解放」、つまりはAC脱却しか無い。「父の愛を求める少年」を卒業し「子と向き合える父」にならなければいけないのだ。

【ネタバレ感想】4.どのようにして「父になった」か?
 タイトルが『そして父になる』なので、当然、主人公は父の呪縛から放たれ/ACではなくなり/一人の人間として精神的独立を果たし/弱さを妻に見せられるようになり/孤独ではなくなり/なんとか子供に愛を伝えられる父親となれる。
 どうやってAC脱出したかと言うと、まさしく取り違え問題のお陰。琉晴が家出をしたシーンで、主人公は「俺も家出したんだ。母親に会いたくて。すぐ親父に引き戻された」と語る。自分が父親と同じモラハラ教育者となっていることに気づいたのである。父にされて傷ついた仕打ちを子に加えている自覚を得たのだ。「自分も琉晴と同じ傷つけられた少年だった/自分の父は完璧ではなかった」とも…。ここから一気に、彼は変わってゆく。琉晴の考えを肯定した上で触れ合えるようになった。妻とも本音で対話が出来るようになった。妻子と同じ空間で涙を流せた。もう慶多は、あちらの家に行ってしまった後だったけれど…。
 又「今は幸せ」と語る看護婦の家庭に行ったことでも彼は成長をした。看護婦の息子の「関係無くない、僕の母さんをイジめるな」という意見。主人公にとっては衝撃だったであろう。//自分は本来、この子のように、母(風吹ジュン)を脅威=父の暴挙から庇うべきだったのだ…。。父の為に自分を殺している場合ではなかった…。。//と気づかされたのだから。意を決して、母に電話をかける主人公だったが、今までのことを謝ろうとしても「貴方と真面目な話をしたくない」と拒否されてしまう。時は既に遅かった。哀しくもあるが、気づけただけでも、「今の家庭に誠意を表そう」と思えただけでも、成長である。

5.父になれたあと
 主人公が父の呪縛から脱したことは、大学時代からの友によって語られる。「昔からファザコンだな」と言っていた弁護士が「なんだかお前じゃないみたいだな、好きになっちゃいそうだ」と呟く。変化の証拠だ。リリー・フランキーの「父の真似をしなくてもいい」という言葉にも同意をするし。福山&夏八木親子に焦点を当てると【Like Father,Like Sonではなくなる話】となる。

☆総括☆
 最初に言った通り、本当に「AC福山雅治中心の話」である。脚本上では尾野真千子リリー・フランキー真木よう子も、子役すら【主人公に気づきを与える装置】だ。井浦新に至っては「家庭を変えられた子供は中々順応が出来ないのです」って当たり前なことを福山に教えちゃってる。非常に主人公に過保護な映画。…でも、最も可哀想なのは子供ではないのか?河原での写真、慶多だけ笑ってないように見えて辛い…。

 カメラは福山の心情変化だけを追い続け、子供&相手側夫婦を深堀りしない。。。なので、これを取り違え問題を扱う作品として見ると些か不謹慎な気がする。本当に福山がAC脱却して本音を言えた所で終わるから、取り違え問題を放り投げているレベル…。。。【取り違えをキッカケとしたAC脱却の成長譚】としては傑作。【自称・取り違え問題を扱う映画】としては疑問が残る。
 
 ちなみに、取り違え問題に注目すると、実はこれ、日本社会の闇を描いている気がする。尾野も真木も「血の繋がりより育てた子主義」なのに「血の繋がった子供を選ぶこと」に深い疑問を呈していない。日本での取り違え事件では約100%が血筋を選択する、なんて数字も登場。個人感情よりも社会的傾向を選択してしまう歪みが伺える。Jホラーみたいで怖いよ!てか、血筋主義者でないのなら、病院に慰謝料をたんまり貰って、育ての子をこれからも養育するって選択肢で良くない?

シネマサンシャイン池袋にて鑑賞)

*1:自分が在籍した学校の小学校に受験させるシーン。あれほど完璧主義の主人公が「後々苦労(受験)しなくて済む」と言うくらいの大学付属小学校@東京なので、早慶と思われる

*2:主人公は父親の「血筋が全てだ」という命令に従い続けたので、いつまで経っても風吹ジュンを母親と呼べない。

*3:息子を早慶内部に入れていたので、昔は社会的ステータス&財力があったと推測できる