嘆きのピエタ★★★★〜キリストになれなかった男の食育映画〜


 「エンターテイメント性のある芸術映画」と見せかけ「宗教戯画のかたちをとったエンタメ劇」!ベルトリッチっぽい画面が◎。キリスト教要素を自分なりに考察。


1.キリストでありながら処刑人の主人公
 主人公・ガンドは、貧困街の借金取り立て人。貧しいながらもあたたかい人情を通わせる「家族」を破壊するのが彼の仕事だ。無茶な利子をつけ、返済できない借用人を障碍者にする。彼の処刑法は手を痛めつけるもので、もうここからキリスト教的。キリストは手首を貫かれ磔刑された。【ガンド=キリストを殺した愚かな処刑人】なのである。それでもって、ガンドが自らの脚の肉を削ぎ「自分の脇腹を刺せ」と命じるシーンがあるんだけど、この場合【ガンド=イエス・キリストとなる。キリストは手首足首を釘で貫かれた挙句、息を引き取り、死亡確認として処刑人に脇腹を刺された。それでもって生前のキリストは人々に「自分の肉を食せ」と命じている。  参考pdf資料→キリストの肉と血
 彼が祈りを捧げるシーンもあるので、ガンドはキリスト教徒なのだろう。つまり、この作品の主人公は、自身を【愚かな人間たちに殺されたキリスト】&【無実のキリストを殺した愚かな処刑人】その両方に重ねあわせている。

 そんな、どこかで「自分がこうなったのは他人のせいだ」という被害者意識、及び「自分は無垢なる人々を破壊している」罪悪感を持っている男のもとに「私は貴方の母親。貴方がそうなったのは全部わたしのせい」と訴える女性・ミソンが現れたから、さぁ大変。補足すると、主人公が「磔刑」を行う舞台は下請け工業地域。これも「大工の町」に生まれたイエス・キリストと共通している。父親不在だし(イエス・キリストの場合、実の親は「神」なので人間界において不在となる/育ての父は「大工の神」と言われるヨセフ)。

【ネタバレ感想】
2.母なる食育映画
 「家族」を破壊する悪魔のような男は、「死骸」としか言えない肉片と暮らしており、「死骸」にしか見えない食事をとっている。その男の家に母と名乗る女性が乱入する。彼女は「死骸」を除去し、彼に「生きた動物」を与え、自らそれを殺し「あたたかいごはん」を差し出す…。この図式から「お前は温度ある生き物を殺しているんだぞ」という母なる復讐劇であり、同時に「命とはなんぞや」を教える母なる教育となっている。食育映画や・・・!

3.主人公は「キリスト」になれたのか?
 自分で自分の処刑具を運んだ主人公は、正に十字架を背負ったキリストっぽいが、他殺されたイエスと異なりガンホは自害を選択する。しかも地べたに沿う惨めなかたちで…。これ、キリストと言うより逆さ十字で死んでいった裏切り者の弟子・ペテロ的。ガンホはキリストになれなかったのである…。「他人による処刑」をされなかった時点でそれは決定している。
 本物のイエス・キリストは死亡した3日後に復活を遂げる。これを発見…と言うか、墓参りに行ったらもぬけの殻だった、と驚愕したのがマグダラのマリア聖母マリアとは別の若い娘。この人、キリスト教上では「復活の証人」の役割を持つが、これにあたるキャラが『嘆きのピエタ』には不在。実母でなかったミソンは「処女懐胎=父親不在」の聖母マリアでありながら「キリストが神の子であることの証人」であるマグダラのマリアにもなり得る存在であった。ものの、死亡したので該当せず。

 しかしこれ、初めのシナリオを変更して後半を書きなおしたらしい。だからか結構2時間サスペンスっぽい筋書き。終盤、ミソンは独り言で説明しすぎだし、伏線はあったにしてもいきなりおばぁさんが出現して笑う。「自分をキリストと思ってたけど勘違いだった」話と考えるとギャグっぽい…。だけれど詩的すぎるラストで持ってかれる力技!

Bunkamura ル・シネマにて鑑賞)