シャーリーズ・セロンは何故『モンスター』を演じたのか?


 美人女優シャーリーズ・セロンは、何故あそこまでの身体改造を行い連続殺人犯を演じたのか?それは彼女が『モンスター』の主人公に共感したからではないだろうか。セロンはアイリーン役についてこう語る。 

 映画『モンスター』のアイリーンとラヴェンナは、同じ悪でも全く違う、両極にいる人間だった。でもアイリーンもラヴェンナも、涙を流すシーンがショッキングだったって言われることがあるわ。それはみんなが、悪人が自分たちと同じ感情を持っている人間だと思いたくないからなのよ。人が悪いことをしてしまったとき、周りの人間は「あいつと自分は違う」と思うはず。だからその「悪」が人間的な感情を見せたときに、わたしたちは、彼らが自分と同じ人間であることに気付いてとても恐ろしく感じるのよ。だけど、わたしは誰にでも悪人になりうる要素があると思っているわ。
  −『スノーホワイト』シャーリーズ・セロン単独インタビュー - シネマトゥデイ

 「誰にでもアイリーンになる可能性はある」と断言している。これ、映画のアイリーン像を考えると当然の意見なのだけれど、シャーリーズ・セロンにはある事情がある。彼女は南アフリカ出身。15歳の時、目の前で父親が射殺されている。銃弾を放ったのは実の母親。家庭内暴力からセロンを護る為とった正当防衛。そのあと母は破産間近だった父の油田会社を5年で再建させ、バレエダンサーを目指すセロンにNY行チケットを渡した…。アイリーン役でアカデミー主演女優賞を得た際、セロンは目を潤ましながら母への感謝を述べた。

 これ、凄くいい話なんだけど、『モンスター』の内容を考えると深い意味を持つ。セロンはアイリーンのことを「誰にでもなってしまう可能性がある」存在とした。映画を見ると、アイリーンをシリアル・キラーとした大きな要因は「貧困」と「文化資本不足」。自分も、人生一つでも違えば【「文化資本不足」によって「貧困」から抜け出せない/時に運悪く悲劇を起こしてしまう状態】に陥っていた…そう思ったのではないか。だから、アイリーンというキャラクタと一心同体となろうとした。演じようとした。

 -この作品でもそうなのですが、あなたはどこかタフで厳しい環境下に育ったキャラクターに親近感を感じているのでしょうか?
 (シャーリーズ・セロン)あなたがおそらく指摘しているのは、映画『モンスター』『スタンドアップ』と、この作品のことだと思うけど、この作品のどのキャラクターも経済的に貧しい共通点を持っていて、特に厳しい環境下で育ったわたしにとって(彼女は15歳のときに、酔った父親に襲われ、娘の危機を感じた母親が父を射殺してしまった経験を持つ)、その環境とそこから生じる苦悩から、早く立ち直って明るく過ごしていけることが重要だと思うの。その辺が非常に自分の環境下と似ているかもしれない。
  -シャーリーズ・セロン、父親を撃ち殺した母との貧しい生活が及ぼす影響を激白! - シネマトゥデイ

 彼女は実在の連続殺人犯を「鬼畜な人非人」と捉えず「(誰にでもなってしまう可能性がある)悲劇の人物」と確信して演じたからこそ、素晴らしい演技が出来たのではないか。「わざわざ美人女優がやる必要は無い」といった意見をよく見るが、あの役の説得力は、独自の人生経験・価値観・理解力・演技力を持つセロンだからこそ得られた、と考える。歴史に残るシリアル・キラーに対しそこまでシンクロできる役者、演技派でも中々いないでしょう。誰もがアイリーンになってしまう可能性がある…それを論理的にではなく「身を持って実感」でき、執念のような役作りと演技で人々の心を揺さぶれる女優、それがシャーリーズ・セロンだ。

 『モンスター』の感想記事で「主人公とシャーリーズ・セロンは性を売りにするピラミッドの底辺と頂点」という、外道すぎる言葉を吐いてしまったので補足でした…。シャー子って元々は「ただのセクシーブロンド」扱いだったらしいんだけど、この演技で見事に大女優として認められたので、もう「性を売り物にする」イメージは無くなりました。以下はオスカー受賞時の感動的なスピーチ。

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