アラビアのロレンス 完全版★★★★★〜私の影よ、お前は誰だ?〜


 207分から227分に増え、ロレンスのアイデンティティロスト・偶像・鬱憤・ホモセクシュアルもパワーアップ!大スクリーンで見るべき大傑作!!オールタイム・ベストの一つであり、何気にこの作品のレモネードは「おいしそうな飲食シーン」殿堂入り!初見は通常版の方が良いと思うけども…(やはりディレクターズカット版は長い)。実は、新宿テアトルタイムズスクエアで見た『アラビアのロレンス』は生涯一の劇場体験だった。そんな思い出を掲げ、六本木ヒルズに向かったのであった…。


 この映画、拳銃や刃が男性器のメタファーであることは有名な説だけど、今見るとロレンスは最初っからオネエっぽい。しゃべり方が、なんだか…。規律を是とする英国エリート社会で浮くのは必然と言える…。砂漠に馴染んだのも、英国より男性間同性愛が盛んな文化圏であることが無きにしもあらず…では…?見た目は髭が生えた雄々しい男達のなか、ロレンスだけが美しすぎるので主演女優状態。
 イギリス人がアラビアで仲間と認められて英雄になるも、人種の垣根で苦しみ藻掻く話。ロレンスは白人なので葛藤するわけだけど「そもそも周りも白人やんけ」とツッコミたくなるネ! (アラビアの王子とハウェイタットは白人の俳優が黒塗りにして演じている。アリ役のオマー・シャリフはアラブ人)

 ロレンスがアラブ人に喝采される際、映されるのは本人ではなくその「影」。本当に「影」が多い映画である。その「影」が純白な砂漠でこれ以上無いほど映える。さて、砂漠の民に英雄とされたのはロレンスその人ではなく「ロレンスの影」であったわけだけど、ロレンス自身の、自己への認識はどうだったのか?想う変換はこんな感じ。
【ネタバレ感想】

1「外国人」ゆえに「変人」にならない安心感:英国で「変人」扱いをされていた英国人・ロレンスは、アラビアでは「外国人」故に最初から「異質」なもの扱いされる(アラビア人から「British!」と盛んに呼ばれている)。同胞なのに「我々と違う」認定されるよりも「異邦人(Arien)」だから「我々と違う」と認識される方が楽だと思う。人格が吟味されずにてない、ただ見た目しか判断材料に入れていない自動的&反射な認識だから…。前者だと人格を指して「異端」とされるのだから、一種の人格否定。。最初のロレンスはハキハキと「私の名前はロレンス」と自己紹介している。
2「外国人」ゆえに不安:砂漠の男として認められ、名声が大きくなればなるほど、ロレンスのアイデンティティは大きく揺らいでいく。バイクの男に「誰だ?」と聞かれても答えられない。いわゆる留学うつみたいなもの。ただ喝采は大きくなり、故郷やアメリカにも拡がってゆく…。自国(イギリス)において「完全なる異邦人」となってしまったことを表す、一幕のラストは一見ポジティブなシーンになっていて見事。
3もはや「人間じゃない」から…:「自分は誰なのだろう」という苦悩から逃避するかのように、ロレンスは偶像視される自分を(自分でも)偶像視し始める。「私はアラビア人ではないのに砂漠で生きている/人種の壁は絶対に越えられない/帰る場所も無い」そんな悩みから逃げるには「そもそも自分は人間ではない」と考えるのが手っ取り早い。それはまるで自己催眠のようで、腕を撃たれても本当に痛みを感じていないよう。
4黄金の弾に射抜かれる:だけれど「自分は人間ではない」なんてアホな考えを現実は許さない。「俺は透明人間だから捕まらない」と調子に乗っていたら軍隊に捕まり男性に陵辱され自己催眠崩壊。「自分は非人ではなかったし、アラビア人でもなかった」と認め砂漠を去る。
5.オレンスかロレンスか?:ロレンスのアイデンティティが確立されたわけでは決してない(むしろその反対)。なので英国のお仲間のもとに帰っても彼の精神が休まることはない。司令によって砂漠に戻された時には精神が悪化の頂点を遂げており、大量虐殺に繰り出る。そのあと、会議でアラビア人自体に失望する。アラビア人の姿をしている時は平手打ちをしてきたトルコ風の男に、イギリス人として出くわしたら笑顔で握手を求められたロレンス。この時の彼の心境を想うと…。
5.イギリスのロレンスとして:帰国後、イギリスの象徴と言えるバイク(ジョージ6世)で加速し、イギリスで死ぬ。アラビアの王子に「もうオレンス(アラビア発音)ではなくロレンス(英語発音)か」と言われているので、彼は英国人だったということだろう。母国でも「よくわからない人」として生涯を終えた。

 調子に乗ったロレンスは「俺を撃てるのは黄金の弾だけだ」と吹いていたが、男性に陵辱されたことが失意のきっかけとなったから、正に金の玉に射抜かれたことになる。

(TOHOシネマズ六本木ヒルズ ART SCREEN F-6 真ん中。画面が小さい。)